Suddenly I ......

いつも、突然に。徒然なるままに。日々発信中

被害者立場から学んだこと

 

ついこの前、某二世俳優の釈放され日々話題になっているような気がする。(高畑裕太氏)

 

なぜ、釈放されたのか。

被害者女性はどんな思いなのか。

不起訴・示談に持ち込んだいきさつは何なのか。

など、様々な謎が多い弁護士のコメント。

 

この事件を終わらせたいと思っても、

被害者にとって、これからの人生生きてい行くうえでも様々な弊害があるだろう。

テレビをみて自分のことが報道されていたり、世間で噂話されているなど。

肩身の狭い思いをするだろう。

 

しかし、被害届を出していなかったとしても、誰にも話せず、自分の中で抑えないといけないと思うとつらい。

どっちにしろ、肩身は狭く感じるだろう。

 

 

 

日々起こる痴漢・わいせつなどの被害の報道を見るたびに、

数年前の塾帰りに起こった出来事を思い出す。

 

起こってから数年は誰にも言いたくもないし、思い出したくもなかったしなかったことにしたかった。

 

数年たった今は、その事件から何を感じたか、犯人の心境や裁判についていろいろと考えることが多い。

 

いつまでも「つらい」と、思っていても、何も変えられない過去。

そこから何を学んだか。そのように自分の中でシフトしている。

 

 

当時中学生のころに塾からの帰り道に

乗用車にのった男性に「大学の場所を教えてほしい」と、尋ねられて。

車に連れ込まれ、怪しいと思い

すぐに逃げた。

家の近所で起こったものだから、家までついてこられないように

今までにないぐらい自転車を早く漕ぎ帰宅して、警察に通報。

 

幸いにも車のプレートナンバーを全部覚えていたため

逮捕することができた。

 

しかし、犯人逮捕で一安心できなかった。

犯人が逮捕されてからが事件が起こった時よりつらかった。

 

 

取り調べがとにかく長い。

逮捕の連絡を受け、取り調べを警察署で行った。

すでに夜10時をすぎていて

「え、、今からか。。。」と、唖然としていたことを覚えている。

 

パトカーが家まで来て警察署まで行った。

 

まず、犯人が本当にこの人かどうか。

勾留されている部屋にいった。

薄暗い場所をいくつも通り抜けて、お化けが出そうではないのかと思うぐらい

さらに薄暗い密室へ行った。

 

そこには窓があって、のぞくと犯人がみえる。

「この部屋からは犯人があなたは見ることができないので安心してください。」

と、言われた。特殊な窓から犯人の確認を行った。

 

犯人が360度回って「これが、あなたが会った人ですね。」と聞かれる。

 

犯人の表情が会った時よりも無表情で豹変していて本当に怖かった

 

今でも覚えている。

 

その後、犯人の車も警察署にあるため

車の確認も行なった。間違いなくその車だった。

 

その後

犯人が警察署で勾留されている間は、被害者も取り調べをされる。

男性の警察官にそのように至った経緯を話した。

「なんで怪しいとおもったの。」「どう声かけられたの?」など

根掘り、葉掘りとにかく聞かれる。1時間ぐらい。

 

 

男性警察官や周りに父がいることとにかく男性に囲まれていることでも精神的に苦痛でしかなかった。

 

時間は午前0時ごろ。

変に緊張の糸が張ってたからか、目は覚めていたけど、

 

「終わったから、帰れる。。。」

 

と、思えば。

 

犯人の取り調べをしていくうちに、

以前にも同じことをしたことによって、逮捕されており

執行猶予中だったことが分かったそうだ。

 

 

罪を犯したためか、自動的に(?)裁判を起こす前提で

取り調べの資料を基に調書を作成をすることに。

 

 

取り調べよりも長い、調書の作成

刑事2人が取り調べの資料を読み上げながら、さらに詳しく聴いてくる。

 

大体2~3時間。取り調べよりももっと苦痛だったし、

だんだんと眠くなったこともおぼえている

 

意識もうろうとし、ひたすら読み上げるのに「はい。そうです。」という、繰り返し。

 

疲れと眠さの中戦いながら、調書作成するのもどうかと思う。

 

今なら「精神的にも苦痛なので、できるだけ早く日を改めてきます」と、言っていると思う。

 

 

調書がなんども読み上げられて、ようやく完成したのは午前3時過ぎ

 

そして自宅についたのが、午前4時。

新聞配達員から、新聞を受け取って、速攻布団にもぐって寝ていた。

 

 

それから数日後、調書とともに資料をだすことも言われた。

それは、再現の写真を資料にしたものだった。

 

警察官と刑事と実際の現場に行って、

 

犯人にどのように声をかけられ、車に連れ込まれたのかなど、

全く同じように再現したものを写真におさめた。

 

家の近所・昼間というのも、周りの目もあって嫌でしか仕方なかった。

 

犯人役・被害者役(私)するのも苦痛。

 

 

「顔は映らないから」と、言われても、結局は資料として出すため映る。

(のちにその資料を見たらモザイクもなし。)

 

当時の自分はよく耐えたと思う。

 

 

 

警察にお世話になることは、本当につらいことだし、

警察も事件が起きてからの処理が大変だということが、よくわかった。

 

事件を隠蔽するなど

本来の職務を果たさない警察官が増えていることもここ最近多くなっている。

他人同士の事件の間に入って、警察官も人間だし苦痛だと思う。

 

でも、これらを何とかしてもらわないと困るし、できるのは警察だ。

と思って、頼る。

 

 

 

それから、事件よりももっとつらいことが待っていたこと。

 

 

検察官(検事)との出会い

1か月以内に刑事から連絡があり、

「検察官に会うように。」と言われて、父と指定された検察庁へ。

なぜ会うのかその頃はよくわからないし、検察官の役目がよくわからなかった。

 

検察庁の担当の検察官の部屋に案内されると、

検察官とその隣に書記(?)がいた。

 

「犯人の犯した罪を判決するのに、裁判を起こすので、しっかりと答えてほしい。

これは、犯人の生涯にもかかわることだ。」と、検察官に言われた。

 

それから、調書の資料を基に

取り調べ よりも 調書作成 よりも さらに詳しく聴かれた。

 

「道はどのあたりか」と地図で場所をしめしたり

「声をかけられたときどんなきぶんだったのか」

「車には連れ込まれたのか・自分から乗ったのか」

「犯人はナイフや刃物を持っているような感じだったのか」など、

1つの出来事に30分以上問われる。

 

父も後ろについていたが、一切横から発言は許されない。

ただの傍聴。

 

事件よりも精神的苦痛だった調書の読み合わせ

検察官と一つ一つの出来事について話していくうちに。

今でも忘れられないことがある。

 

 

「ここ(調書の中)に 『性的行為をされそうになった。』とあるけど、

『性的行為』っていう意味を知っていますか?あなたのわかる範囲で教えてください」

 

 

おもわず「え、、、、そんなこと私言った覚えもないのに。」と、心の中では混乱。

 

おそらく疲労MAX状態で行った、刑事との調書作成の時、刑事が書いたものだろう。

 

検察官に「私、そういうこといった覚えないんですが。」と、言ったら

 

ここに書いてあるってことは、あなたが言ったことですよね。」と、跳ね返された。

 

あまりの威圧感に耐えられず。

 

言葉選びにも困りながら、言ったことを覚えている。

 

検察官・書記・父 と私以外みんな男性。

公開処刑されているようなもの。

 

 

某女優の二世の犯した事件の謝罪記者会見で

高畑淳子氏)

息子の性癖は強かったのか。」と、聴かれているのと同じようなものだ。

 

痛々しくあの気持ちがわかるような気がする。

 

 

 

対象は女子中学生。

 

日をまたいでまで調書を作成した刑事も少しの考慮があれば、

こんなこともならなかっただろうし、

 

なんの断りもなく、デリケートなことを単刀直入に聴くのか。

 

仕事といえども、被害者側にとったら、

 

相当精神的に苦痛だ。

 

今でも聴かれてもつらい。

 

事件よりも、

調書の作り直しをしてほしいこと

検察官のやり取りが嫌で忘れたいぐらい。

気持ちでいっぱいだった。

結局、調書の読み合わせが終わったのが夜の8時ごろ。(昼1時ぐらいからスタートから)

 

休憩も20分ぐらい挟んだけど、ぶっ通しでしたようなものだ。

 

帰りの車の中で、父が「検察官にまさか、あんなこと聞かれるとは、こっちもびっくりしたわ。ありえない・・・」

 

と、唖然としていた。

 

 

そして、数日後に起訴されて、執行猶予もあったため、有罪になったようだ。

 

検察官から裁判の通知の手紙は来ていたことは覚えていたが、

母親が「これ以上つらい思いはさせたくない。」という、思いで、

私には見せないように、手紙は隠していた。

 

「裁判にも出るかどうか。」という話もあったが、

学業にも支障をきたしたら困ることや、

生きていくうえでの人生で今後も

嫌な思いをさせたくない。

という両親の思いがあったため、裁判にもいかなかった。

 

 

 

手紙で、有罪と聞いてから、特に何も警察、刑事、検察官と会うこともなく

何も変わらず生活をしていたけれど

 

有罪になってよかった というよりも 刑事、検察官への憤り」がおさまらなかった。

 

 

数年たってもこの憤りだけは、今も思い出すだけでもおさまらない。

 

 

事件が起きて数年後の今思うこと

当時の自分は中学生だったこともあり、立場的にも大人の権力に任せっぱなしだった。

 

成人越して今。

もしも、このような事件に巻き込まれたとしたとき、

わからない。思い出したくない。ということもあるけど、

自分でYES/NOを言わなければならない。

 

 

犯人も一人の人間として、この世の中で生かされているし、

裁判によって罪の重さが変わる=人生が変わる

 

だから、色んな取り調べなどを受けたとき、責任持った発言や

警察や刑事、検察官、弁護士などとかかわる際には、

自分の言動の責任を持たなければならないと思ったし、

さらに言えば、意思を貫くことが大事だと思った。

 

社会の中では

弱者の立場といえども、弱者である自分ながらも、自分の意思主張していくことが大事だと思った。

 

被害者でかわいそうだ

と、周りから言われると、

 

「ああ、私は、本当にかわいそう、、」と、いつの間にか自分自身を暗示してしまい、

色んな人に同情を求めていく。

 

色んな人から自分自身が弱者として扱われて、

言いたいことも言えなくなってしまうこともある。

 

 

すべて自分自身がまいた種のようなものだ。

 

もちろん人間の心の中に心の変化や周期などもあるが、

いつまでたっても「私はかわいそう、弱者だ」というようなループの中にいる

自分に気づけないのは、本当によくない。被害妄想。

 

 

そこから気づいて立ち上がらなければならない。

 

 

今は、もう、特に何も恨みなどはないが、

そこから、何を学んだのか。そこからさらに深く学んだことを生かしていこう。

 

 

というような心持でいる。

 

 

そして

少しずつでいいから、被害者という立場を自分から離脱していこうという気持ちが大事だと思う。