身近な「死」について考えた
こんにちは。八月もすでに後半戦。
七月末から祖父が入院し、しばらく病院で付き添いと、仕事の繰り返しでした。
幸いながら、祖父もお盆休みまでには退院することができ、今は元の生活に戻りつつあります。
今年のお盆休みは8月11日の山の日から16日まで、
または20日まで取られた方が多いのではないのではないでしょうか。
お盆休みといえば、帰省ラッシュにお墓参りなど様々なキーワードが挙げられますが、
毎年必ず、水難事故が見られることが多い気がします。
今年も、お盆は毎日のように、地元のニュースや全国のニュースを見るたびに、
海・川で溺れて亡くなったニュースを見ると心が痛みます。
小さいころから「お盆休みは、海や川にいくとご先祖様が帰って来るのを邪魔をすることになるから行かないように・・連れていかれるよ・・・」と、
教えられて、いくことに恐れを感じて行ったことはありませんが、
その教えは本当だったのかもしれません。
でも、今年は、ちょっと違う観点から、
お盆には本当にご先祖様が帰ってきた。ということを感じました。
お盆休み最終日の出来事でした。
夜9時過ぎに突然
「祖父の兄貴が亡くなった・・・」という知らせが家にきました。
つい、一週間前には、祖父のお見舞いにも来られたり、
祖父が退院してから兄弟みんな集まって他愛のない会話をしていた元気な方が、
急死されるなんて・・・・家族中驚きを隠せませんでした。
死因は心臓の膜が破裂したことによって、亡くなったそうです。
特に心臓が悪いなど聴いたことはありませんでした。
亡くなる日も、普通に何も変わらず自立した生活を送り、
昼寝をするために、パジャマを着替えて、自分の布団で寝ていたそうです。
そして、あまりにも起きるのが遅いな・・と思って、親族の方が様子を伺ったら、
すでに息を引き取っていたそうです。
同居されている親族の方が「この部屋の温度下げたらどうかな」
と、声をかけたところ、「このままでいい」っていたのが最後でした。
その亡くなるまでの経緯をきいて、
歳が歳というのもあるのかもしれないけれども、
本当にご先祖様が迎えに来てしまったんだなあ。。。と、感じました。
祖父も七月末に脳梗塞をおこし、入院することになり、どうなるのかと思いましたが、
幸いにも命を取り留めることができました。
きっと、祖父も誰にも気づかれないまま、脳梗塞を起こしてしまったら、迎えられていたのかと思うと、ぞーっとします。
お葬式には、私は直接参列はしていませんが、
改めて、思うと「本当にいい最期」を迎えられたのではないのかと思いました。
亡くなる数日前には、兄弟みんなが集まって、楽しく会話をして
「また次会うときまで~~!」と、別れを告げたのでしょう。
そして、自分の家で自分の布団に入って、いつも通り寝て。。。
発見した家族は焦りでしかないとは思いますが、
自分の住み慣れた生活の場で最期を迎えることは、どれだけいいのだろうか。
と、思いました。
きっと、最後に兄弟で集まれたのも、ご先祖様が集まらせてくれて、
どこかで最期が近いと暗示していたのではないのかと思いました。
生きている限り死と隣り合わせで毎日を過ごしているのであり、
人生いつ、何が、起こるかわからないので、
生きる上で、一日一日を大切に生きていきたいと思ったのと、
最期はどうありたいのか。常にイメージを膨らませながら、考え行動していくことで、
自分の理想が現実になっていくのではないのかと思いました。
またある日突然、身近な人の死に遭遇するときもあります。
死を受け止めることに時間がかかるとは思いますが、受け止められるまでの過程が
人生の中で大切な過程ではないのかな。と思いました。
そこから、一日一日を自分の人生ももちろん。
人とかかわるうえで、人の人生も考えられるようになる=思いやりが芽生える
のではないのかとおもいます。
お盆休み最終日にして、本当に濃いお盆でした。。。
ご冥福をお祈りするとともに、ご先祖様と半世紀ぶりの再会を楽しんでください。
そして
どうか私の祖父の人生を温かく見守っていてください・・・(*'人'*)!