子どもなりに「死」を受け入れていたときの話
フリーアナウンサーの小林麻央さんががんの公表から一年後の6月22日逝去された。
ご主人である、市川海老蔵さんが翌日の6月23日午後から会見を開き
改めて見ていると、本当に愛し愛された家庭を築かれたことを思うと涙が止まらなかった。
会見の中で、海老蔵さんは二人の子供のことについても答えていらっしゃった。
2人の子どもが、母親が亡くなったことを「分かってると思うけど、分かってないところもあると思う」と語った。この日の朝も「彼女が横になっているところで、顔をさわったり、足をさすったりしていました」
海老蔵 2人の子供残し旅立った麻央さんに「心残りと思う」「心配でしょうがないと思う」
お二人も本当に献身的に支えられたんだと思うし、その姿を想像するだけで
涙がこぼれてくる。
そのことを想像すると同時に、
ちょうど勸玄くんと同じ年頃に初めて家族の死、曾祖母が亡くなった。ことを思い出した。
断片的にしか記憶はないけれども、曾祖母とは住んでいるところは離れていても
元気な時はよく、私が日中預けられていた祖母の家にきて、一緒に遊んだりした記憶はある。
ある日「おばあちゃん、あぶないかも」みたいな話を聴いて、急きょ曾祖母が住む
家に家族や親せきと一緒に行ったことを覚えている。
布団に横たわって、意思疎通はできていたようだったので
周りの大人がいっぱい話しかけていた記憶がある。
私は当時「おばあちゃんねてるんか~」とただ普通に寝ているように思えたが
「死」に近づいていることが目の前で起こっているけれど、よくわからず。
でもこんなに親戚一同が集まるということは何かあるんだ。。。
ということは察していた。
それから数日内に葬式に行ったこと。
曾祖母の家で行われていた記憶がのこっている。
お経など読み終わった後に、
気持ちよく眠っている曾祖母に花を添えたことが鮮明に覚えている。
確か赤い花だった。
よくわからず、ただ、花をいれていた。
そして火葬場に行ったとき。
遠目で、曾祖母が眠っている棺桶が大きな倉庫みたいに入れられる瞬間を見ていた。
その時には「おばあちゃん、お空の天国っていうとこにいっちゃうんだな~」ということを、思ったことを覚えている。
それからの記憶は一切ないけれど
最後棺桶が倉庫にみたいなところに入って、
その棺桶ごと空に上がっていくのってすごいな。。。と、小学生までずーっと思っていた。
しかし、
12歳に祖父をなくしたとき、納棺してからの先を知った。
まさか焼かれていただなんて、12歳の時の衝撃だったこと。
「お空にいっちゃう」ということを思ったのはなぜか、改めて考えてみた。
おそらく、父母たちが「死」という言葉よりも「天国」という言葉を教えたような。
そんな気がする。
子どもは生活の中で言葉を覚えていき、覚えたことをどんどん発言していく。
曾祖母が亡くなったことにより、
葬儀に参列するにあたって、
4歳児に「死」という言葉を言ってもよくわからないのではないか。
「死んだ」という言葉を軽々しく発してほしくない。という思いがあったのか。
または、遊んでもらった曾祖母いなくなることで、
いったいどこへ行ってしまうのか不安になる私の心を察したのか、
比ゆ的に
「死」=「お空」「天国」
になったんだろう。
そう思うと、父母をはじめ、周りの方々に配慮されたと思うと、胸が熱くなった。
そのように教えてもらってから
「死」はわからなかったけど
「天国」という、世界がちがう。
ということは4歳なりに受け入れていたことがわかる。
子どもの心は本当に繊細で、言葉にうまく表せられない分、気持ちを汲み取っていく
ことが大事であり、また、子ども目線になって話す事が大事だと改めて思った。
また生きていくうえで、色んな出来事に遭遇し、
情緒的な成長もしていき、色んな感情が出てくる。
文章でやり取りが多くなったここ最近。
言語的・非言語的それぞれくみ取っていくことが徐々に衰えているように思う。
また、どのように表現していけばいいのかわからず引きこもってしまい
精神的に参ってしまうことも多々あり、情緒的な成長が妨げられているように感じる。
だから、常に感情とどう向き合っていくか、日々感じることって大事だと思った。
だいぶ話がそれてきたけど、
将来、自分の子供がいたとすると、同じような境遇に遭遇するだろう。
子どもが「なんで?どうして?」って聞いてきたりするだろう。
また、言葉が見つからず、クエスチョンマークでいっぱいになるかもしれない。
その時に、私の父母をはじめ周りの大人たちが教えてくれたようなことを
教えられたり、感情を汲み取って寄り添ってあげられるような親・大人になりたいと思った。
芸能界の方々は、世間の方々からの目もあり、
落ち着いて自身の気持ちと向き合うことが難しいと思う。
特に子供たちも、注目され続ける限り、気を遣いすぎたりして
情緒的な成長が妨げられるのではないかと思う。
正直、そっとしてあげてほしい。
時が来た時に、落ち着いてから、話していただきたい。
ただただ、本当にそっとしてあげたい。
私たちができることは、
そっとしてあげること。
心からご冥福をお祈りいたします。